うつ、闘病記


それは息子の嫁からの1本の電話から始まった。

息子がうつ病と診断されたのでお父さんとお母さんに至急来て欲しいという内容だった。

私の住まいと、息子たちの所在地は車で4〜5時間、日帰りできる距離ではない。

とりあえず家内が行き、嫁とともに医師(55歳)に面会して説明を聞くことになった。

息子が、風邪ではと内科に診察を受けに来たが、その憔悴した様子からうつ病が

疑われたので同病院の精神科で診察を受けなおし、うつ病と診断されたのであった。

医師から「うつ病は家族の絆で回復させましょう」という趣旨の話を聞かされた家内は

「非常に立派な先生」という強い印象をもったらしく、私に何度もそれを強調した。

私自身もまだ逢ったこともないうちから「信頼できる医師」という先入観をもって

しまったが、これが後々判断を誤る原因となる。

嫁は「なんで私がこんな目に合わなければならないの」と家内に泣きながら訴えた。

結婚して8年経ち、2人の娘に恵まれていた。

嫁のその時の被害者の如き言動は少なからず家内をおどろかせたが、

「気が動転しているのだろう」とその場は背中をさすり、懸命に慰めたのであるが・・・・・・・

それから約9ケ月後、嫁はこどもを連れて突然、入院中の夫を捨てて実家に逃げ帰るこ

とになるのである。

息子は1ケ月程休職したのであるが、その間毎日朝3時に私に電話してきて1時間ほど

話をするのが日課となった。

「今日はご飯が食べれた」とか「本を読もうとするのだが文章が頭に入らない」

など、とりとめのない話がつづくのであったが、私にとって重要な時間であった。

この心身ともに弱りきった息子に少しでも長く寄り添っていたかったからである。

その後、会社には順調に出勤していたが、次第に躁状態となり、ボクシングのジムに通

ってみたり、急に家を買うと言い出し、物件を見つけてきて手付を打つ寸前までいったりし

たが、これは結局病気のせいでローンがおりず周囲の人間をハラハラさせただけに終

わった。

躁状態では、上機嫌になり、おしゃべりになったり、睡眠が少なくても休みなく動き回り、

大胆な行動をとり、思い通りにならないことがあればイライラして不機嫌になる。

その状態が3ケ月程続いたが、医師はそれに対して何の手も打たなかった。

こちらからの「こういう症状なのですが、このままで良いのでしょうか。」という申し出を受

けて「それは私も気づいていました」と言いながらようやく薬の処方を変えたのである。

これは、 双極性障害(躁、と、うつ状態を交互に繰り返す)のうちの躁病相と言われ

る症状であると私たちは勝手に思い込んだが、医師からの説明は何も無かった。

これは無知からくる重大な誤りであったことが後になってわかった。すなわちうつ病と

双極性障害とは治療法(投薬)に違いがあり、息子は双極性障害ではなかったのである。

それから5ケ月後息子は貯めておいた睡眠薬を大量に飲んで自殺を図るのであるが、

その時運び込まれた大学病院の若い医師は、その時息子の飲んでいる治療薬に疑問を

もったようで、「今息子さんは、双極性障害の薬を飲んでいらっしゃいますがそれについて

どう思われますか?」と、何の専門知識もないことが明らかな私にたずねたのである。

私は「専門知識がないので解らない」と答えたが、その医師の残念そうな表情は

忘れられない。。

それは「この薬は息子の病状には適さない」と言外に示唆していた。

そのことを私がはっきりと認識するのは病院をA心療内科クリニックに変わり、そこの医師が

「薬が多すぎる、そして強すぎます」と言ったときであった。

もっと早く病院を変わるべきだったのである。

先頃、10年もの間引きこもりであった男性が、立ち直りつつある状況がテレビで報道された。

近年心療クリニックの乱立、その診療、投薬のずさんさを告発する番組で、不必要な薬を処方して

儲けに走る医師の姿が批判されていた。

日本では「医師」であれば事実上すべての診療科を行うことができるということから、、

専門知識のない医師が心療科を開業し、不適切な薬を処方している実態がある。

先のひきこもりであった男性は、10年の間飲み続けた大量の薬をやめ、適切な薬にかえた

とたん快方に向かい始めたというのである。

いかに不適切な薬を不必要な量飲み続けていたか、薬の詳細な説明もあった。

このような例を見ていくと、「全ての医師が信頼できるわけでない。」と思わざるをえない。

又、一方、「私の場合は薬が劇的に効きました。」と私に話してくれた70歳代の老婦人もいた。

息子が次に診療を受けることになったA心療内科クリニックの医師、は最初の病院の医師からの

紹介状を見て、「ちゃんとした精神科に行かれたほうが良いと思います。一度入院されているの

ですから」と言い、診療を断りたい様子であったが、私も息子も無言で医師をみつめていた。

かなりの時間、無言のにらみ合いの後、意を決したように医師が「それではやってみましょう。」

と沈黙を破った。

「まず薬を減らしましょう。睡眠薬も変えます。血液を調べて薬の量を決めます。」

医師はテキパキと指示した。

「一日5千歩以上あるくこと。朝起きたら朝日を浴びること。これは必ず実行してください。」

「それでは一週間後に来てください。」

一週間後の診察の時には「毎日5千歩あるいていますね?」 「いえ・・まだ・・」

「それはどういうことですか。万歩計をつけて必ず実行してください。」と厳しく叱った。

その言葉は自殺未遂までした人間の治療を引き受けた医師の決意の表れであった。

気力の衰えた息子であったが、その言葉に心を揺り動かされ、立ち直りの一歩を踏み出したのである。

嫁と子供に去られた息子は、うつ症状に苦しみ、会社を休みがちながらなんとか踏みとどまり

その間、A心療内科クリニックに通うようなってから半年余りのうちに順調に出勤

できるようになっていった。

おわり



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  • 09/08:うつになる人々
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