人智の及ばざるを探る

人智の及ぶ限り




命の不思議は人智の及ばざるところである。

鏡に写った自分の顔を見て「なぜこれが自分なのか」不思議な気持ちを抱くことが

ないだろうか。

自分の顔、体、声、痛み、感情すべてが自分であり、四六時中寝ても覚めても自分についてまわる。

これが自我、我執であり、普通死ぬまで逃れることはできない。

インドの聖人、バグワン・シュリ・ラジニーシは様々な宗教を題材にした講話録のなかで、自我

についてわかりやすく語っている。

又、自我を落としてしまった解脱(悟り)の境地、そしてその境地に至るためのテクニックについて

も説いていている。

悟りを開いた、いわゆる悟達の人びとは「自我というものはない。玉葱の皮をむくように自我を

取り去っていくと空の境地に至る。空の境地に到達すれば自我に縛られることなく、

自由自在に生きることができる。」と言う。

しかしながら、これは知識としての理解は難しく、悟達の師のもとでの困難な修行を経て

体得するしかないであろう。

もし書物などによって理解しょうと試みる者は隔靴掻痒(かっかそうよう)の感をまぬがれず、

悲しい結末に終わる。

かのオウム真理教の事件は、悟りや超能力に憧れ、渇望した若者らが修行の場を求めてオウム真理教

に集まり、教祖、麻原彰晃の言うがままに操られた末に起きた事件である。

麻原彰晃はある仏教系大学で講演した際、例えばチベットの殆ど知られていない経典について

の質問等に全てよどみなく答えたということであるからやはり只者ではないのであろうか?。

思えば、この世の森羅万象すべては「どのようにして起きているか。そのプロセス」について

解明されつつあるというものの、この世はなぜ存在するのか、森羅万象はなぜあるか?、

については、神、死後の世界、超常現象などと同様、解明不能のまま、科学の裏に

押しやられたままである。実証が不可能、または非常に困難のゆえである。

視点を変えて、人生に意味があるか?。

死後の世界があり、そこでこの世の生き様が反映される、と信じる人がいる。

つまり「良い生き方」をすれば天国、「悪い生き方」をすれば地獄に行くという。

一方、残されたものに影響を残すとは言うものの、本人にとって、死んでしまえばそれで終り、

意味は無いと考える人もまた多い。

世界に禅を知らしめた鈴木大拙博士も私淑していたといわれるスウェーデン出身の神学者・神秘主義思想

家エマニュエルスウェーデンボルグは その著書、霊界日記の中でこう述べている。

人間のときの生涯と、死後にその人間の霊が行くことになる霊の世界との間には、なんらかの

関係があるのか、あるとすればどんな関係があるのかということであろう。これには次のように答えよう。

人間のときの生涯がそのまま、死後、彼が永遠の生を送るべき世界をほとんど決めてしまうのである。

霊界で霊たちが幸福な世界に入るのも、また逆に地獄界に入るのも、別に人間のときの報酬や罰として

入る のではない。それは人間の生涯において、彼の霊的な内心が霊界のどの世界にもっともよく対応すべ

きものになっているかによって、死後の霊自身が自分の意志で自分の世界を選択するのである。

アウシュビッツ強制収容所の過酷な実態を生き抜き、その経験をフランクル夜と霧に著した ビクトールEフラ

ンクルは、その著書それでも人生にイエスと言うの中で、 「この世界全体が、有意味か無意味かは個人の

決断に委ねられている。」と述べ、死後の世界には否定的 である。

むろんフランクル博士は「意味がある」と信じて生きることを薦めているのであるが、

意味がある、無いは客観的には判断できないと結論づけているようだ。

心理学者ユングも又「この人生には意味があり、そして意味が無い。私は意味が優勢となり、戦いに勝つこ

とを切望している。」 とその自伝の最後に述べている。

占い、超能力、霊界など、いわゆる不思議な出来事をまったく信じない人がいる。

「そんなことがあるはずがない」には反論ができない。証明できないから。

しかしながら人智の及ばないことには興味の尽きることがない。

それは、その昔、地球上に秘境が数多く存在しており、少年少女の夢を育んでいたが、発達したメディア

によって暴かれ、秘境の地位を転落させられていったのとは違って、話題が尽きず果てしが無い。。

早稲田大学名誉教授、大槻義彦氏は、非合理・非科学・非論理的な事象や主張、例えば超自然現象

や超能力などを科学者として徹底的に批判する学者としてマスコミにも登場し、プラズマ現象の実験

などを通じて「霊的現象」を科学的に否定しようと試みている。死後の世界を信じないのであろう

大槻氏は人智の及ばないことは無い、と思っているようだ? 



矢作直樹氏の著作「人は死なない」(バジリコ株式会社発行)を読んだ。

その中には「臨死体験」「スピリチュアリズム」について書かれているが、

死亡した母上との冷媒を通しての会話の模様も細かに記されている。

一方「文芸春秋2014年10月号、の巻頭に、「死後の世界」として立花隆氏が

この「人は死なない」について辛辣な批評、批判を展開している。

立花氏には霊的な能力、スピリチュアリズムにたいして無能力者なので

矢作氏の「人は死なない」が受け入れられない。

このような人物がNHKなどで「臨死体験」などの番組を作り得々として

世間に公表するのはいかがなものかと思っている

立花氏の「臨死体験(NHK)」もみたが、盲目の人が何の手がかりも無く

とぼとぼとさまよう姿の印象を受けた。立花氏のような人物はこのような

テーマに首を突っ込むべきでない。持てる能力のはるかに届かない異次元世界

の話、ということを知るべきである。



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