萬代十蔵 U



萬代の通った中学はその当時荒れに荒れていた。

「皆、出れーッ」清水が叫ぶと教室の全員が外に出た。清水は狂的な生徒で誰も逆らえない。

教師は黙って見送るだけで授業などあったものではない。

一度云うことを聞かなかった生徒を殴る蹴るで重症を負わせ、

警察沙汰になってから、教室の動向は清水の気まぐれに左右された。

その子分格にきっちゃんがいた。きっちゃんは興奮すると奇声を発し、ガラスの破片を腕にこすりつけ、

皮膚がはがれ血の出るのを「どうだー」と皆に見せ付けるようなことをしたことが何度かあった。

みんな怖気を振るった。

そんな清水やきっちゃんにおもねる者がいて教室は愚連隊の巣と化していたが、

そんな中でも萬代は持ち前の運動神経と胆力で一目置かれる地位を確保していた。

清水が狂い始めると萬代も逆らわなかったが、普段は対等であった。

学校の付近は半農半漁の村で、ほとんどの家庭が貧しかった。

村民の気風は粗野で、喧嘩は日常茶飯事、駐在の警官も手出しできない争いもあった。

清水は中学を卒業すると集団就職で名古屋方面に行っていたが、5年経って女を連れて帰ってきた。

近くの町に家を借りたが生業はなにをしているのか、けっこう羽振りが良かった。

女は艶な美女で、背が高く男前でヤクザ風の清水とはお似合いの、絶妙なカップルであった。

漁師の手伝いなどをしながらも定職に就くことの無かった、単純馬鹿のきっちゃんがこの二人に憧れを抱き、

清水の処に入り浸るようになったのは当然の成り行きであった。「けんちゃんよぅ」あるとききっちゃん

が切り出した。

清水はけんちゃんと呼ばれていたが、そのうち総長と呼ばれるようになる。

「下田信二が仲間に入れてくれといっているがどうしよう。」「今、信二は何してる。稼ぎはあるのか」

「ミシンの営業をしているが成績は全然で、もう辞めるといっている。

親が不動産屋だから金回りはいいよ」下田は2才年下のチンピラで、容貌は男ながら人が振り向くほど

の器量よしであった。

「よし、直ぐにつれて来い。」清水はすでに命令口調である。部下に対してどう振舞うか

を秘かに研究している。

もういっぱしの親分気取りであったが、清水は軽薄な人物ではなかった。

慎重に自分の将来を見据えていた。

お手本はその頃流行っていたヤクザ映画である。親分子分のやり取り、

上下関係、金と人、組織の在り方など、映画の中には幾らでも参考になる事例が語られていた。

清水は恥もてらいも無く、即刻、取り入れていった。

下田信二を前にして清水は先ず、「俺の配下になるなら良く考えることだ。

けつわりは許さんよ、絶対に。」「へい」「組に絶対忠誠を誓え。それが出来る

やつだけを組に入れる。」

下田はまだ実体のありもしない「組」という名目に胸が震えるほど感激した。

そうして「へい、わかりました」どこかで見た股旅物の映画の三下のような返事で

清水の前に平伏したのである。


清水が中学を卒業した昭和35年頃は集団就職全盛期で中卒の若年労働者はその将来性、

低賃金から「金の卵」と呼ばれ、もてはやされた。

中には賃金や厚生施設の充実した企業もあったが、大半は中小零細企業であり、雇用条件

や労働環境はかなり厳しいものであった。したがって離職率も20%前後と高かった。

清水は、女手ひとつで育ててくれた母親に見送られ故郷宮崎を出発した。

初めての大都会である。放たれた鷹のごとく、希望と、野心に燃えていた。

「誰にも負けん。」がこの早熟な少年の信条であった。

「母ちゃん、映画に行ってくる。金くれ。」「そんなお金はないよ、映画は学校で禁止じ

ゃろが。」「・・・・・」名にし負う不良少年も母には逆らえなかった。

金が欲しかった。遊ぶ金、仲間におごる為の金も必要であった。

新聞配達、豆腐売り、何でもしたが長続きしなかった。

早く自立したかった。じりじりしながら卒業を待ったのである。

しかし送り込まれた先は、鉄工所とは名ばかりの家内工業であった。

5〜6坪ほどの土間に旋盤、ボール盤など自動車の部品を作るための最小限の機械が据えられ、

其の2階にある8畳の粗末な部屋に秋田出身の1年年長の少年、石川次郎と2人で

住むことになった。 同部屋の石川は清水から見れば扱いやすい、愚鈍なお人好しである。

直ぐに「石川」「清水」と呼び合う仲となり、常に行動を共にしていた。

親方の本多は36歳の抜け目のない男で、この二人を仕事では厳しく使いこなしたが、

其の分私生活には不自由のないよう配慮していた。

二人の部屋には其の頃まだ珍しかったテレビを置き、工場の直ぐ傍にある自宅で出す3度

の食事の内容には気を配り、衣類の洗濯さえ妻にさせていた。

清水を中学時代の反抗心をどこかに忘れてきたように従順にさせたのは、男親を知らない

清水にとって父とも兄とも思えた本多の存在であった。

清水は本多夫婦の親代わりともいえる其の温情を直ぐに理解した。

給料こそ多いとはいえない額であったが、朝早くから夜までみっちりと働いた。

「働けば給料が貰える。」この喜び、充足感はその後2年ほど続き、

清水はわき目も振らなかったが、次第に転機がやってきた。

石川に誘われて通うようになった喫茶店は其の辺りの若者の社交場であった。

「昨日はどうだった。」「ああ、予想通りアオキが1着よ。久しぶりに当てたぎゃあ。」

話題は競輪、女、仕事の愚痴。清水は地どれのすれた少年達の間では純朴に見えたが、

心中密かにそんな連中を軽蔑していた。

賭け事には誘われても手を出さなかったし無駄な金は使わなかった。

いわゆる付き合いの悪い清水であったが、その存在感から、仲間の間に言い知れない畏怖と、

畏敬の念を抱かせるようになっていった。


その頃萬代は地元のH工業高校に通っていた。

H工業の教師達は、中学での荒れ様をみて、戦々恐々としていた。

「学校が荒れ始めると手の付けられない状態になる」教師たちは先手を打ち、

生徒が少しでも荒れる兆候を見せるとすかさず押さえつけた。

それは超過剰防衛となり、生徒の無気力、教師側の神経過敏をもたらしたのである。

それはもう教師の習い性となり、学校外でも発揮された。

或る時、汽車通学の女子高生3人が、楽し気に談笑していた。それは周囲にいた他の乗客

にも和やかな雰囲気をもたらしていたものであったが、そこに突然「君たちはな

んだ、静かにせんか。皆さんの迷惑がわからんのか」。とそれをたしなめる大声

が響いた。この声の主がH工業の教師であった。女子高生3人は、いきなり予想

もしていない突然の怒声に黙り込んだが、その始終を見ていた他の乗客も何のこ

とか分からず、怪訝な目を向けるだけであった。

常識的な行為であっても、教師たちは敏感に反応するようになっていた。

そんな教育環境のもとでも、十蔵は、多少不良がかってはいたが、周囲の悪童連とは一線

を画し、一匹狼を貫きながら無事卒業した。

大学に進学するほどの向学心はさらさらないが、さりとてすぐに親に従って家業の

「布団屋」修行に精を出す気にはとてもなれない。

1年ほど実家の商品配達の手伝いなどでお茶をにごしていたが、ある不動産業者との接触

から、不動産ブローカーとしての道を歩み始めた。



続く

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